ちゅうとはんぱー

胃が痛くて寝てたのに
蜘蛛が自分の周りをウロチョロする夢を見て
腕もムズムズする気がして
目が覚めてしまって
反射的に腕を掻いたら
ほんまに蜘蛛がおって
掻いた勢いで殺してしまったらしい
足がちぎれてた
とてつもなくテンション下がって
ティッシュで蜘蛛さん拾って丸めてゴミ箱に捨てて
そっからまた起きてたのだけど
胃が痛いのから発展系の
お腹が緩い感じになってきて
おなら厳禁な雰囲気が漂いはじめたので
また寝ようと思って
寝転んだけど寝れず
渡辺浩弐の『ひらきこもりのすすめ2.0』を読み出したら
主張に違和感を感じつつも
言い切るもんだからすがすがしいというか
面白くて
ちょっと触りだけ読むはずが一気に3章まで読んでしまって
今休憩。
中途半端な時間・・・。



ひらきこもりのすすめ2.0』をここまで読んで
自分の中で思い出したと言うのか
意識し直したと言うのか
よくわからないけど
“自分がお金を使うこと” は “自分以外の誰かがお金を得ること” で
“自分以外の誰かがお金を使うこと” は “自分がお金を得ること” にもなりうるってこと。
後者に関しては、必ずしも自分にお金が来るとは限りませんが。
あくまで可能性。
必要十分条件とか数学でやりましたね。
もう忘れてどっちがどっちか忘れたけど。


後、これは前から思っていたことで
例えばCDや本を買うとき
購入意欲の違いってあると思うんです。
このアーティストのCDは絶対に発売日に買って聴きたい!
このアーティストの新しいCD出たんや・・・買ってみてもいいかな。
みたいな違い。
この違いを支払う金額に反映できないのがなんだか気持ち悪いなと。
なんで 買う/買わない の閾値(CDアルバムで言えば約3000円)しか存在しないんだ、と。
倍の金額でも自分にとっては妥当と思えるものもあれば
半額なら買ってみてもいいのにと思えるものもあるわけで。
供給側が価格を決めることが当たり前の
今の世の中では仕方ないのかもしれませんけど
仮に、どうせアルバムを2枚買うとして合計金額が一緒なら
頑張ってもらいたいアーティストに多めに対価を渡したい
僕にとってまだそんなに大事ではないアーティストには安めの対価でもいい
と思うのだけど。
僕の好み=世界中の人の好み ではもちろんないから
僕にとって大事なアーティストは誰かにとってはどうでもいいアーティストかもしれないし
もちろんその逆もしかり。
3000円という閾値では全然売れないアーティストでも
100円だったら、1000円だったら
と買ってくれる人もいるかもしれない。
今のCDは売り上げ枚数で評価されるんだろうけど
その売り上げ枚数ってのは個々人に対する好まれ具合はかき消されて
0か1かの2値化されてしまっている。
まぁ応援するために一人で何枚も買う人もいるのかもしれないですけど。
そういう見方で満足してるから、
メーカーとかは消費者の意志を汲み取れないんだ、と個人的には思います。


全てのものには値段がついているけど
本とかCDに関しては、特にそういう風に思うことがあったり
ひらきこもりのすすめ2.0』の中にもそういう部分で共感できることが書かれてあったりで
つい書いてしまいました。
実際には文化の保護やらなんたら色々絡んでいるのかもしれませんが
そんなことは知ったこっちゃありません。


たぶんいないと思いますが
ここまで読んでくれた人がいらっしゃったんでしたら
拙い文章ですみません
そして
読んでくれてありがとう